ファン感謝祭編 幽谷霧子 “おいのり” “ふねがでます”
左手、それから右手を胸にあて目を閉じる。
彼女の最も印象的で象徴的な立ち姿です。
この “祈る” ということを厚く重んじる精神はどこからくるのでしょうか。
“ おいのり ”
主に、神仏に加護や救済を請い願うことを祈願、祈禱、総じて “祈り” と言い表されます。日本語としての構成の解釈には、斎 (いつき) や生命 (いのち) などの神聖なものを指す「い」と、告 (のり) や法 (のり) などの宣言するということを指す「のり」が合わさって「いのり」であるという語義があります。つまり、口にすべきではないことを口にする、神聖な、根源的なことをことばにして響かせる、ということを表しています。
絶対的な存在に求める、という宗教的な意味合いが広く使われている言葉ですが、より純粋な “祈り” の意味としては、本能として行う人間の営み、といえます。
霧子がしているお祈りは、ことに清らかでなにより無垢であった印象を受けました。彼女のお祈りは、このより純粋な意味の “祈り” なのではないかと思います。
そこには、誤解してはいけないことがあります。
彼女のお祈りは、 “お願い” ではないということです。苦しい時や辛い時に神仏に助けてもらいたいと、しきりに考えている、ということは決してありませんでした。
彼女のお祈りは、 “念ずる” でもないということです。なにか決まった説法を唱えることも、それ自体に効力があると前提して考えているわけでもありませんでした。
どこまでも、彼女は、“祈る” のです。
霧子にとって、お祈りとは、生きていることへの実感の言葉なのかも知れません。
それは、挨拶をするように自然なことなのです。
“ ふねがでます ”
心配性で、人よりも不安を抱きやすい性質の彼女らしい行為、それも、このお祈りだと思います。
霧子のお祈りは、さながら瞑想のようでした。そこには様々な癒やしがもたらされているようでした。
霧子は瞼の裏に、海図を見ます。 それは、事務所と、日本と、世界と、宇宙がある、どこまでも果てしない、そんな、海図を思い浮かべます。
そこには、おそらく彼女自身がぽつんと漂う宇宙を鳥瞰しているような光景が広がっているのだと思います。 そして、広がれば広がるほどに自分という個人が本質へと近づいていき、小さく小さくなっていくのでしょう。宇宙に身を預けるような感覚があるように思います。
霧子は海図の上で、みんなを見送ります。心を込めて、丁寧に見送ります。
「いってらっしゃい」という言葉には「行って」そして再び「帰って来なさい」という意味があります。
彼女は、みんなが無事に帰って来てくれることへ感謝を込めて言っているように感じました。 本当は、それが大袈裟なことも彼女には分かっているのです。だから、それを人に伝えるようなことはせず、自分の中だけで、言葉にしているのでしょう。もしくは、言葉にせずにはいられないのかも知れません。
彼女の「おかえりなさい」には、そんな感謝の意が込められているように感じました。
祈りによって表される言葉の数々が、彼女によって様々な意味を持ち、そして、それは彼女自身を支える大きな力となっているように感じました。
祈り、そして言葉を重んじるその姿勢に、私はどこか 神の国である古代の日本を彷彿とさせます。